コラムの館

NEW アンディー船長の海外出張

 1981年12月13日、初めてアメリカに出張した。
1ヶ月間の長旅の思い出に、暫しお付き合いを願いたい。

 当時、開港間もない成田空港から、アンカレッジ経由でニューヨークに入り、セントラルパークが眼下に見えるマンハッタンの一流ホテルに泊まった。
英語が話せないので、送迎、食事、観光は先行していた現地赴任者のフルアテンド
だった。昼食は赴任者の奥方手作りの弁当を頂き、夕食は接待を兼ねながらの毎日だった。
 5番街の日本食レストランに行った時の事だが、白人のお客さんが食べ残しのラーメンを、カップに入れてテイクアウトしたのを見て、日本ではあり得ない事と驚いた。
 クリスマスには赴任者の自宅に招待され、奥方の手料理に舌づつみを打った。ニューヨーク流の七面鳥の丸焼の美味しさは、長い年月が経った今日でも忘れられない。
 ニューヨークから中部のカンザスシティーに移動、今度はやはり先行していた単身の現地赴任者がサポートしてくれた。昼はピザやハンバーガーで済ませ、夕食はレストランに繰り出す日々だった。ある日、車で1時間かけて行ったレストランでビールを注文したら、何と「コーラ」が出てきた。件の赴任者は、「コース」という銘柄のビールを頼んだとの事。発音が悪かったのか、私が子供に見えたのか???
 少々、日常会話にも慣れた頃、カンザスシティーからロスアンゼルスに赴任する事になった。移動の機内でコーヒーを入れてくれたスチュワーデスさんが、笑顔で「砂糖、ミルクはどうですか?」と聞いてきたので、何気なく「ブラック」と答えた。一拍の間を置き、やがて表情を無くした彼女は、何も言わずに立ち去った。彼女は黒人だった。ブラックコーヒーをストレートと表現する事を、この時から数年の後に教わった。あの黒人の彼女が、怒ってその場を立ち去った訳にようやく気が付いたのだった。それから暫くの間は、コーヒーの香りを嗅ぐ度に心が痛んだ。
 ロスアンゼルスでは、日が経つにつれ、臨時採用の作業員の扱いも慣れて、予定通り仕事が終わったので、ディズニーランドで遊んで、帰国の途に着いた。無事到着後2ヶ月ほど過ぎた頃、ロスのホテルから会社宛に、多額の宿泊代の請求書が届き、身に覚えの無い私は説明に困った。良く調べるとホテルの宿泊日が私の帰国後の日付だったので、自身の潔白は証明できたのだが、どうやら、臨時採用の作業員の中にいた、片言の日本語を話す東洋人が、かつて渡した私の名刺を使用して、なりすましていたようだ。
 リタイヤしてからも、時々海外へ行く。やはり気になるのは為替ルートだ。2012年1月、インドネシアルピア(IDR)は、0.00863141524円=IDR。日本の10,000円をルピアに交換すると116万IDR!!偉い金持ちになってしまうのだ。
 1982年の対ドルレートは、220円=US$、時代は高度成長期の真っ只中だった。往時を振り返ると、仕事以外にも色々な発見、体験、勘違いが多々あった。
釣りも同じようであり、想定外の事象に遭遇した時は、冷静、沈着、かつ敏速に対応しなければ深みにハマると心得たい。



慧丸船長の私の釣考
 新年明けましておめでとうございます、 今年は多くの皆様に多くの幸が有るように願います。
現在時刻は7時36分。我が家の向いの屋根越しに昇る初日の出を体中に浴び、新年の誓いを立て、神棚の御神酒を取替えて、お下がりを頂くところです。
昨年は天災や人災が多く有りましたが、天災の復興に向っては道徳心を自ら示し、人災に置いては責任者の道徳心の欠落を暴露されました。
大晦日は紅白歌合戦を半分くらいしか見る事が出来ませんでしたが(睡魔の為) 若い歌手の歌詞を読みながら聞いていると涙目に成ってしまいました。
あのような若者が続いてくれると良いのですが。
 絆が昨年の言葉に選ばれましたが、人が集まり和が生まれその中より自然発生で笑みが生まれそれを紡ぐ糸が絆と言う糸だと思います。

平成14年6月14日が慧釣会のスタートです。早いもので10周年になります。

人が集まり、個性、人格、能力を認めながら10年目をスタートしたいと思います。



恵山船長のご意見申し上げる!
 人生というものを永らくやっていると、忘れる事が出来ない年がいくつかある。
春とは名ばかりの3月に、東北を襲った未曾有の惨劇は、この年末になっても未だ
忘年の心境を得られずにいる。朝鮮半島では、独裁者と呼ばれ続けた指導者の
時代が終わりを告げ、南国タイでは洪水が何日間も続き、日本の企業も大打撃を
受けた。そして永田町は消費税とマニフェストで侃々諤々である。目先の事を今は
先にやるべきではなかろうか。
新年に願うのは政治が国民の信頼を取り戻し、たかだかの人数合わせの為の離党
騒ぎなどはやめて、与野党一丸となり復興に努めてもらいたいものだ。
 話は変わるが、慧釣会は来年10周年を迎える。振り返れば立ち上げから色々な
事があったが、中でも今年はホームページの刷新、当会主導による海上事故防止
安全講習会の開催や当会の看板であるステッカーの新調、役員会の充実、そして
24名の参加を得た忘年会など、とてもまとまりがあって、スムーズに運営できた事を
役員会ならびに会員の皆さんにこの場をかりて感謝を申し上げたい。
どうやら慧釣会は10年の節目をもって、次の成長の階段を登って行くであろう。
今年を表す言葉は、「絆」に決まった。同じ趣味を持ち、同じクラブに所属している
のは、何かの縁というものだろう。会員同士、「絆」を大事にして来年も楽しんで
もらいたい。



慧海船長の、ちょっとしょっぱい一頁
先述に出た、慧丸船長の私の釣考を読んで強く共感した。
恐縮ではあるが、付け加えさせて頂くならば、私たちの教育的な根源には武士道が大きく関わっていると考える。
 世界的な歴史上を見ても、儒教や仏教、イスラム、カトリック、ヒンズー、神道な、信仰や宗教、そして道徳上の教えはとても一日では語れない。やはり人類の歩みとは、常に迷いと戸惑いの歴史であったのだろう。そして人は自己の弱さを克服する為に、求道的な教えに救いを求め、日々心身を鍛錬したのだろうと推測する。
 話は変わるが、先日静岡県で開催されたスポーツキャスティング(遠投競技)の全国大会に出場して来た。移動の車窓から見た景色は、初冬の北海道と違い、まだ秋の気配を色濃く残していて、ああ静岡に来たのだなと心に残った。
大会には海外からの参加者もいて、言葉は通じなかったが、さながら向こうは騎士道、こちらは武士道といったところか、至極意気投合し不思議な巡り合わせを感じた。
 さて、肝心の競技成績は全くの惨敗であった。日々、文武両道を座右の銘にしている私だが、その両道に努める事無く大会に臨み、理想と現実の違いに打ちのめされ、しょっぱい川を渡って帰ってきた。いや、しょっぱい海だったか・・・。




慧丸船長の私の釣考
 秋の夜長を持て余して、このところ書物を良く読んでいる。 特に気に入っているわけではないのだが、最近はやりの大河ドラマの影響だろうか、時代物を手に取る事が多い。  最近読んだ本の中に、おもしろい一節があった。
江戸時代の後期に庄内藩では、武士の心身の鍛錬のために、釣りを大いに奨励していたら しく、サムライ達にとってのたしなみでもあった。との記述に興味を惹かれた。
 静かに精神を統一し獲物と勝負する様は、いくさ人としての心構えに通ずる道理でっ たのだろう。
 時に、現代に生きる私はもちろん武士の家系では無いし、剣道もやらないが、心身の鍛錬という意味では、今昔共通するものがあると思う。
 たとえば「心」の部分では、誰よりも早く、そして良い場所で釣る為に、チマタの誘惑に負けず、飲みにも行かず、早寝早起きをしたり、良い根を見つけて思わぬ釣果に恵まれながらも、資源保護の為には人に自慢も儘ならず、道具の手入れや、仕掛けを幾度も作り変えるなど、自己管理、忍耐、根気が養われている。
 続いて「身」の部分においてだが、まず深酒を控えるようになった。そして、釣行時に はつい早足となり、魚が掛かれば、竿を持ち、リールを巻き、高波で船が揺れる中、立ったり、座ったり、しばしば大漁に恵まれた時の重いクーラーを運ぶ辛さなどは、一体健康に良いのか、悪いのか良く分からなくなるが、きっと内臓や足腰には、良い鍛錬となっているのだと信じる事にしている。
 そして、このような釣り人が私の周りに多数居る事が良い刺激となって、さらに、心身の鍛錬に繋がって行くと考えている。
 私が船釣りを始めてからの短い期間の間でも健康を害し、亡くなって行った仲間が多数いる。私は身の丈にあった釣りをして、その仲間の分も良い勝負をいつまでも、楽しみたいと日々思っている。




ペガサス船長のつぶやき
〜 其の一 〜
 演歌の歌詞の中にも度々登場する、日本古来の伝統漁法に、鵜飼いの漁という ものがある。
 この漁は、鵜匠と呼ばれる船頭が訓練した鵜を巧みにあやつり、アユなどの高級魚を
一回飲み込ませてから、船上で吐き出させて回収するというもので、ちょっと驚きだ。
本州では、専業、観光を問わずかなり盛んに行われていて、長良川・木曽川・四万十川などの有名河川がその舞台として、名を連ねている。
 先達て、何人かの客とカレイ釣りに出た。30p前後の良型がぞくぞくと釣れだした所
に、S船長が近づいてきてカレイをやりたいけどエサが無いと言う。そんならと、遊び心で エラコを投げつけてやったら、本人は「ありがとう」と言って、早速釣りを始めたが、1時間 ほどで沖へ移動して行った。
 なるほど、S船長の首に紐を付けたら鵜飼い漁のようだと思い付き、それにしても、体の大きな鵜だなと、一人苦笑いをした。
 その後、フクラギを大漁した、S船長から2匹を頂いて、どうやら鵜飼いの漁は成立したようである。




恵山船長のご意見申し上げる!

 山のことわざに、「鹿を追う者は山を見ず」というのがあるが、これは夢中になっているうちに、それ以外の事に気を配る事が出来なくなってしまう事を指す。このことわざは、海にもそのままあてはまることであり、釣りに夢中になってしまい、海の変化に気付かず遭難してしまう事象が数年前にもあった。
 午前中は大丈夫だろうと思い出航し、まだまだ大丈夫だろうと、釣りを続けて、危ない思いをした事は正直な所、何回もある。そして、それが釣り人の性なんだろうとも思う。しかし、遭難してからでは、何もかも遅いという事を一番に考えて、早め早めに行動する事が海では肝要だろう。
 時に海というものは、一変には変わらないもの。徐々に徐々に模様が悪くなって行き、気付いた時には大変な波になっている事もよくある。風も最初に強く吹いた後、一回収まり、それから本丸の風が吹き付ける。
無線、電話などで会員同士、海況の確認等、コミュニケーションを取って釣りを楽しむ事を勧める。
 気象状況が変わりやすい時期になってきた。女心と秋の空とはよく言ったもので、気をつけて楽しんでもらいたい。


                                       会長代行 山本清昭
   
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